专栏

スコッチ3蒸留所物語 ~その2 ─ アイラモルトを代表する キルダルトン3兄弟とは

科尔顿山

ピートフリークという言葉も生んだスモーキーでピーティーなアイラモルト。
そのアイラモルトを牽引するのが“キルダルトン3兄弟”と呼ばれる
ラフロイグ、ラガヴーリン、アードベッグの3蒸留所だ。
トータルして年間で900万本近くを売り上げる、アイラを代表するシングルモルト。
今回は、その3 蒸留所の物語である─。

 前号ではスコッチの3大蒸留所として、スペイサイドのグレンフィディック、ザ・グレンリベット、マッカランの3つの蒸留所を紹介したが、今回は3蒸留所シリーズの第2弾として、アイラ島の3つの蒸留所を紹介したいと思う。スコッチの「2
大聖地」と呼ばれるのがスペイサイドとアイラ島で、スペイサイドが華やかでフルーティーなモルトが多いのに対し、アイラ島で造られるアイラモルトはその対極。スモーキーでピーティーなウイスキーとして知られる。スペイサイドの面積は約2500 km²で、東京都より少し大きいサイズなのに対し、アイラ島は面積約620 km²、日本でいえば淡路島より少し大きい位の小さな島である。
 スペイサイドにはスコッチの全蒸留所の3分の1近くにあたる約60の蒸留所がひしめいているが、アイラ島にも現在稼働中の蒸留所が11 ヵ所あり、世界中のモルトウイスキーファン、中でもスモーキーでピーティーな風味を好む、通称ピートフリークには、スペイサイド以上の聖地とあがめられている。人口わずか3400人ほどの小さな島に、年間10万人を超えるウイスキーファンがやってくるのだから、その人気のほどが知れるというもの。それはまさに“聖地巡礼”と言ったほうが当たっているかもしれない。
 アイラ島にウイスキー造りが伝わったのは13世紀頃と考えられている。インナーヘブリティーズ諸島の最南端にあるアイラ島は、アイルランドに近く、アイルランドから渡った修道士たちから伝わったとする説が有力である。さらにアイラ島は、全島の4分の1が厚いピート層におおわれ、ピートが簡単に手に入ったことと、比較的気候が温暖で、大麦の栽培にも適していたからだという。もちろん当初は密造が主だったが、18世紀後半から蒸留所が相次いでオープンし、今日のアイラモルトの隆盛を築いてきた。現在11の蒸留所が稼働していると前述したが、それを北から順番に並べると、ブナハーブン、アードナッホー、カリラ、キルホーマン、ブルックラディ、ボウモア、ラーガンベイ、そしてアードベッグ、ラガヴーリン、ラフロイグ、ポートナトゥルーアンとなる。

 その中でボトルの販売量トップスリーがラフロイグ、ラガヴーリン、そしてアードベッグの3つだ。これらはアイラ島南岸の教会区、キルダルトン教区に所在することから、通称“ キルダルトン3兄弟” と呼ばれている。キルダルトンは8世紀ごろに建てられた古い教会で、その庭には西暦801年に建てられた古いケルト十字架の“キルダルトンクロス” があることでも有名だ。ラフロイグ、ラガヴーリン、アードベッグのそれぞれの創業年は1815年、1816年、1815年とほぼ同じ。蒸留所の規模も似通っていて、ボトル販売数はラフロイグが年間400万本、ラガヴーリンが250万本、アードベッグが240万本となっていて(2023年)、トータルで900万本弱。もちろん、スペイサイドのグレンフィディックの約1800万本、ザ・グレンリベット1200万本、マッカランの1100万本、トータルして4100万本には遠くおよばないが、スモーキーでピーティーなアイラモルトがこれほど売れているというのは驚きである。いずれにしろ世界のオーセンティックバーやホテルバーで、これらのアイラモルトが1本も置いていないというバーは稀であろう。それほど世界中にその名が知れ渡っているのだ。それでは、そのキルダルトン3兄弟には、それぞれどんな違いがあるのだろうか。200年を超える長い歴史の中で何があったのか。以下、詳しく見ていくことにする。

シングルモルトとして唯一王室御用達のワラントを保持

 アイラ島には、本土からのフェリーが着く港として、北のポートアスケイグと南のポートシャーロットの2つがあるが、その南の玄関口・ポートシャーロット港から車で3 ~ 4分の距離にあるのがラフロイグ蒸留所だ。創業は前述したように1815年で、アレクサンダーとドナルドのジョンストン兄弟によって創業されたという。そのジョンストン家が運営に当たっていたのは20世紀半ばごろまでで、最後のジョンストン家の末裔イアン・ハンターの死後、蒸留所は彼の右腕であった女性のベッシー・ウィリアムソンに引き継がれた。

<ラフロイグのフロアモルティング(自家製麦)。職人が木のシャベルですき返す。>

<麦芽の乾燥時に燃やすピート(泥炭)。独自のピート採掘場をもっている。>

 ベッシーはもともとグラスゴー生まれだったが、子供のいなかったイアン・ハンターがベッシーを蒸留所マネージャーとして引き立て、死後、遺言で彼女に蒸留所そのものを託した。スコッチの長い歴史の中で、ベッシーは初めての女性蒸留所所長で経営者だったが、男まさりの経営手腕でラフロイグに数々の改革をもたらし、今日の隆盛の礎を築いてきた。“ ラフロイグ中興の祖” と呼ばれているのはまさにそのためだ。彼女の死後、蒸留所はハイラムウォーカー、さらにアライド社などの所有となっていったが、2005年にアメリカのビーム社が買収し、さらに2014年にそのビーム社を日本のサントリーが約1兆7000億円で買収し、現在はサントリーグローバルスピリッツ社の所有となっている。

<ラフロイグのポットスチル。手前の3基が初留釜で、奥の4基が再留釜だ。>

 ラフロイグのワンバッチの仕込みは麦芽5.5トンだが、そのうちの20%近くはフロアモルティング、自家製麦でまかなっている。現在、スコットランドでフロアモルティングを行っているのは9ヵ所しかないが、そのうちの3 ヵ所がアイラ島で、しかもそのうちの2 ヵ所、ラフロイグとボウモアを所有しているのがサントリーなのだ(もうひとつはキルホーマン)。もちろん麦芽の乾燥に用いるのは、ラフロイグ独自のピートボグ(湿原)から切り出されるピートで、このピートには海藻などが大量に含まれるため「ヨードのような、消毒薬のような匂い」といわれる、ラフロイグ独特のフレーバーが生まれるという。

<“ラフロイグ中興の祖”“ラフロイグのファーストレディ”と言われたベッシー・ウィリアムソン>

 ウォッシュバックはステンレス製が8基で、スチルは初留3基、再留4基の計7基が稼働する。再留のミドルカットは72%から60%までで、スモーキーなフレーバー、ピーティーでフェノリックな風味を残すため、スペイサイドの一般的な蒸留所に比べてかなり下の方までミドルカットを取るのがアイラ流だ。年間の生産量は330万リットル(100%アルコール換算)で、これはカリラ蒸留所に次ぐアイラ2番目の蒸留所となっている。長くアイラモルトのナンバーワンはラガヴーリンといわれてきたが、2001年にラフロイグがラガヴーリンを抜いて、シングルモルトの第1位に躍り出た。以来、その座をキープし続けている。

<ラフロイグのボトルたち。このボトルのラベルの紋章はまだチャールズが皇太子時代のものだ。>

 もうひとつ特筆すべきは、スコッチのモルトウイスキー蒸留所として、ラフロイグは唯一英国王室御用達のワラントを授かっていることだ。それがプリンス・オブ・ウェールズ、チャールズ皇太子の勅許状だったが、現在チャールズはチャールズ3世として即位しているので、御用達の紋章は皇太子のそれから国王のそれに変わっている。ラフロイグのボトルのラベル上部に、その紋章が誇らしげにプリントされているので、ぜひ注意深く見て欲しい。ちなみにチャールズは皇太子時代にアイラの領主を意味する「ロード・オブ・ジ・アイルズ(島々の王)」の称号を保持していて、名実ともにアイラの王だったのだ。そのチャールズお気に入りのシングルモルトが、このラフロイグだったというわけだ。

“ 不眠不休” のピーターが率いたホワイトホースの原酒蒸留所

 キルダルトン3兄弟の2番目がラガヴーリンである。ラフロイグからは、やはり車で数分の距離だ。創業は1816年とラフロイグより1年遅いが、もともとラガヴーリンのある場所は湿地帯で、17世紀には10を超える密造所があったという。ラガヴーリンはゲール語で“ 水車小屋のある窪地” の意味。密造用の大麦を粉に挽いていたのだろうか。創業者はジョン・ジョンストンで、一説によるとラフロイグを創業したジョンストン兄弟の父ではないかという。その後ジョンストン家からグラスゴーのブレンダーの手を経て、ローガン・マッキーが所有することに。

<ラガヴーリン湾にあるラガヴーリン蒸留所。>

 そのローガンの甥であるピーター・マッキーが修業のためアイラにやってきたのが1878年で、叔父のローガンの元でウイスキー造りのイロハを学んだ。ピーター・マッキーはエジンバラの出身で、そのピーターが1890年につくったのが“スコッチの名馬” と呼ばれるかの有名な「ホワイトホース」だ。ホワイトホースはブレンデッドとしては珍しい、スモーキーなラガヴーリンをキーモルトとしたウイスキーで、その後一世を風靡した。ローガン・マッキーの死に伴って、1895年にはラガヴーリンもピーターが所有することとなり、ここに、マッキー社が誕生した。
 ピーターは、スコッチの長い歴史の中でも、最も有名なキャラクターの1人で、“レストレス・ピーター”、不眠不休のピーターとして恐れられた。その人物像については、3分の1の天才、3分の1の狂気、3分の1の誇大妄想と言われたものである。雇っている職人たちに筋肉をつけさせるため、彼らの食事にこっそりプロテインを混ぜたなど、エピソードにこと欠かない。そのピーターが1908年にラガヴーリンの敷地内に建てたのが、モルトミル蒸留所で、ラフロイグと同じマッシュタン、発酵槽、そしてスチルを用いてラフロイグと同じウイスキーを造ろうとした。つまり、隣のラフロイグを潰すことが目的だった。

<ステンレス製のマッシュタン。>

<カラ松製のウォッシュバック(発酵槽)。>

 実は当時ラフロイグの販売権を持っていたのがピーターだったが、ジョンストン家の末裔イアン・ハンターがアメリカから帰り、ラフロイグを継いだことで、その販売権のことで揉め、それで怒ったピーターがラフロイグの職人まで引き抜いて、ラフロイグそっくりの蒸留所を建ててしまったのだ。しかし、このモルトミルで造ったウイスキーはラフロイグとは似て非なるものだったという。ピーターの思惑は外れ、ピーター自身が、やがて興味を失ってしまった。そのため、この蒸留所は、ほとんど生産が行われないまま1962年に閉鎖となっている。スコッチのシングルモルトの中で、真の意味で幻とされるのがこのモルトミル蒸留所なのだ。
 それを題材にイギリスの名匠、ケン・ローチが監督を務めたのが映画『天使の分け前』で、ストーリーはこのモルトミルの幻の樽がハイランドの蒸留所で見つかり、それがオークションにかけられるというものだった。もちろんありえない話ではなく、もし本当にモルトミルの樽、いやボトル1本でも見つかれば、軽く1樽で20億円以上、ボトルも数千万円はくだらないと見られている。ただし公式にはモルトミルのウイスキーは一度もオフィシャルとしてボトリングされたことはないという。

<独特のオニオンシェイプと呼ばれるラガヴーリンのポットスチル。左の2基が初留で、右の2基が再留用だ。>

<ラガヴーリンの熟成庫。アメリカンホワイトオークのホグスヘッド樽がメインだ。>

 さて、ピーターの死後(1924年)、マッキー社はホワイトホース社に改められ、その3年後の1927年にスコッチの最大の会社であったDCL社によって買収されてしまった。このDCL社の後継会社がUD社、そしてディアジオ社で、ラガヴーリンは今でもディアジオ社の所有となっている。そのUD社時代にスコッチの生産区分の代表的蒸留所6ヵ所を選び、それをボトリングしたのが「クラシックモルト・シリーズ」で、そのうちの1つ、アイラモルトの代表として選ばれたのが、ラガヴーリンの16年物だった。以来、アイラモルトのナンバーワンとして君臨してきたが、前述したように2001年にラフロイグに抜かれ、現在はアイラモルトの第2位となっている。

<スコッチ史上、もっともユニークな人物と言われたピーター・マッキー。ホワイトホースの生みの親だ。>

<幻のモルトミル。これは市販されたものでなく、従業員に配られたものだという。現存しているのは、これ1本しかない…。>

 現在のラガヴーリンの仕込みはワンバッチ麦芽5.4 トンと、ほぼラフロイグと同サイズ。発酵槽はカラ松製で計10基。スチルは初留2基、再留2基の4基が稼働する。ミドルカットは72%から59%と、ラフロイグより1%低い値となっている。原料の麦芽はポートエレン製麦所製で、フェノール値は35 ~36 ppmと、これもラフロイグとほぼ同じである。まさにキルダルトン3兄弟の中でも、この隣接するラフロイグとラガヴーリンは、昔から互いに好敵手と見られ、覇を競い合ってきたのだ。

全世界に20 万人近い熱狂的な ファンがいるピートフリークの聖地

 キルダルトン3兄弟の中で、ラフロイグ、ラガヴーリンと異なり、数奇な運命をたどったのが、キルダルトンクロスに最も近いアードベッグ蒸留所だった。アードベッグとはゲール語で“ 小さな岬” の意味で、目の前にはゴツゴツとした岩礁地帯が続き、岩の間をアザラシが泳ぎ回る。隣の小さな入り江は『フィオナの海』というドキュメンタリー映画で有名になったところで、バイオリニストのフィオナさんが海辺でバイオリンの練習をしていると、アザラシが波間から顔を出し、それに聴き入るということで評判を呼んだ。
 創業したのはラフロイグと同じ1815年。島の住人、ジョン・マクドゥーガルの創業だったが、同家が運営していたのは20世紀初頭までで、その後オーナーが転々とし、経営は必ずしも順調とはいかなかった。1970年代以降、スコッチ不況の波をまともに被り、1981年から89年まで、なんと10年近くもモスボール(一時生産停止)。一滴のウイスキーも造れなくなってしまった。
 1989年にアライド社の元で生産が再開されたが、すぐにまたモスボールに。その後、年に2~3ヵ月間ほど操業したが、それもアードベッグの職人ではなく、同じアライド社が所有していたラフロイグの職人たちが、不定期の生産に従事していた。結局1995年に正式に蒸留所の売却が決定。アライド社としては同じアイラ島に、スモーキーなアイラモルトを造る蒸留所は2つもいらなかったのだろう。2年近く買い手がつかなかったが1997年、グレンモーレンジィ蒸留所を所有するグレンモーレンジィ社(旧マクドナルド・ミュアー社)が700万ポンド(当時の金額で約12億円!!)という破格の安さで買収し、再建に乗り出すことになった。

<アードベッグのマッシュタン。>

<オレゴンパイン製のウォッシュバック。>

 その後のアードベッグの大躍進は、まさにグレンモーレンジィ社と、その統括責任者だったビル・ラムズデン博士によるところが大きい。次々とユニークな製品を世に送り出し、“アードべギャン”、アードベッグ狂ともいえるコアなファンを全世界に獲得していった。現在アードベッグコミッティー(ファンクラブ)の会員は全世界に20万人近くがいるという。 “ ピートフリーク” という言葉が使われ出したのも、まさにアードベッグのおかげだった。グレンモーレンジィ社は、2004年にフランスのモエヘネシー・ルイヴィトン社が3億ポンド(約600億円)で買収し、現在はグレンモーレンジィと共に同社傘下の蒸留所となっている。

<独特のランタンヘッド型のポットスチル。現在は4基が稼働する。>

<アードベッグの熟成庫。9割以上がアメリカンホワイトオークのバーボンバレルだ。>

<アードベッグの数々のボトル。この30 年近くで100を超えるボトルを出しているだろうか。そんなところもアードベッグ人気の秘密だ。>

 アードベッグがラフロイグ、ラガヴーリンと異なるのは、すべてのモルトウイスキーを現在はシングルモルトとして出荷していることで、ほとんどゼロに近かったアードベッグの販売量は2000年以降急成長を遂げ、現在はラフロイグ、ラガヴーリンに次いでアイラモルト第3位にまで登りつめている。さらに現在はラガヴーリンに肉迫していて、ラガヴーリンを抜くのは時間の問題とも見られているのだ。
 アードベッグ人気の秘密は、かつての品薄感もあったが、アイラモルトで最も麦芽のフェノール値が高いことも一因だった。ラフロイグ、ラガヴーリンが35 ~ 38 ppmであるのに対し、アードベッグは60 ~ 65 ppm。現在は少し低く50 ~ 55 ppmとなっているが、それでもアイラで一番という、麦芽のスペックは変わらない。現在の造りはワンバッチ麦芽5トンで、これはラフロイグ、ラガヴーリンとほぼ同じ。発酵槽はオレゴンパイン製で12基。スチルは初留2基、再留2基の計4基が稼働する。
 あまりの人気で2021年に蒸留所は倍のサイズに増築され、現在は年間240万リットルの生産能力を誇る、アイラ第4位の蒸留所となっている。毎年5月末から6月初旬は“アードベッグデー”が開催され、この日に合わせて毎年スペシャルボトルがリリースされ、スコットランドだけではなく、全世界でこの特別な日が祝われる。世界中のアードベギャンが、そのスペシャルボトルで祝杯をあげるのだ。

 数奇な運命をたどったアードベッグだったが、グレンモーレンジィ社が買収してから来年で丸30年。現在はモエヘネシー社の潤沢な資金が投資に向けられ、ブランド戦略とマーケティング力が、サントリーやディアジオ社と対抗できるまでに成長している。古くて新しい21世紀のアイラモルト、アードベッグはまさにその象徴といえる存在かもしれない。

タイトルの画像:ラフロイグ湾に面したラフロイグ蒸留所。晴れた日には海の向こうにアイルランドを見ることができる